2009年01月09日

a little depression

年明けから肌寒さが強まった感がします.
年の始まりに、ヒトは何の根拠もなく、新たな期待感と幸福に満ちた人生の流転を胸に抱きしめます.
「よーし」と年のはじめに立ち上がり、意味もないことに気がつき再び座り直す自分がいます.
「今年は良い年に」なのか
「今年こそは良い年に」なのか
「今年も良い年に」なのかが、自分でもわかりません.

a duckweed or a floating weedII?

地中に根を張らず、水に浮いている草でも生きていけます.
浮き草のように漂って定まらない物事や、確かなよりどころのない生活であったとしても、生きていけます.

さもしくないですか?  a mean-spirited

さびしくないですか? the lonely










  

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2009年01月08日

あけました

気がつけば、2009年 あっという間の2008年でした

11月にアップしてからは、なかなか多忙でブログの存在すら忘れるほどで・・・べー

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします
誰によろしくなのかはわかりませんが…普通

とりあえず、恒例になりました(我で勝手に思っている)本の紹介でも行きましょうか
昨年末から、移動の際、寝る前、休みの日などで読み漁った中で面白かったものを紹介していきます

年末は、石田衣良にはまってました

眠れぬ真珠

年齢の差があればある程、人は前に進むことを躊躇する
人を信じ、自分を信じることはたやすいことではないのでしょう
歳をとればとるほど、素直には…

「そう。女はね、二種類に分かれるの。ダイヤモンドの女とパールの女。光を外側に放つタイプと内側に引き込むタイプ。幸せになるのは、男たちの誰にでも値段がわかるゴージャスな女ね。真珠のよしあしがわかる男なんて、めったにいないから」
眠れぬ真珠 文中より







約束

人は様々です
人は人生のどんな場面を切り取りながら、明日を生きていく勇気をもらうのでしょう













てのひらの迷路

私小説短編集
読みやすく、おもしろいぬふりん
人って、その存在自体が小説なのかもしれません












1ポンドの悲しみ

出会い…
別れ…
幸せ…
悲しみ…
人が生きている環境の中で触れ合う関係って大事です











TENGU/柴田哲考

展開がおもしろい
ラストの謎解きもおもしろい
自分では考え付かないおもしろさ















そこに僕はいた/辻仁成

短編私小説といったところでしょうか
子どもの頃って、色々なことが輝いている時代だなぁっと思います
私の子どもの頃のころも…



















生物と無生物のあいだ/福岡伸一

作者は分子生物学者.つまり科学者です
本当、頭の良いヒトの書く文章って素晴らしくうまいなぁ
一般的にも取りつきにくい内容なのに理解しやすい文章で展開されていく内容には圧巻です
















さがしもの/角田光代

短編集です
すべての物語の中心に”本”が出てきます
本とヒトとのつながりって面白いですね













街場の教育論/内田樹

教育論と聞けば、大変難しそうに思えますが、本著では、いわゆる教育学の教科書的な内容とは一線を画します
教育改革とは、どこかの政治家が口にするほど簡単なことではありません
本質的な視点が欠如しているからです
教育はビジネスではない!
その通りです
しかし、運営側はそうは思っていません
今現在の義務教育方針転換の流浪な状態が示しています
教育にビジネスを持ち込んだからこそ、本来の教育の主旨がズレ、今の混沌とした状態に陥っているのかもしれません










伝える力/池上彰

コミュニケーションに関するスキルアップを目的とした内容


















ナイチンゲールの沈黙/海堂尊

内容的には、途中で展開が見えてしまった感もあるんですけど、面白かったです















マンガでわかる心理学

バカにしながら読んでたんですけど、けっこう網羅して書いてあったなぁ って印象です
















  

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2008年11月18日

今月は

昨日は訳のわからない散文で失礼しました

で 最近読んだ本の紹介です

99の涙




















ゲームソフトとの抱き合わせ商品と思い「たいしたことないやろ」って買ったんですが、やられました、泣かされました。

死体を買う男




















タイトルで選んだんですが、ん~~~読むヒトによってって本です。
私はちなみに途中で最後の展開が読めてしまいました。
ただ、文章が少し古い感じなので若いヒトには読むのは苦かも!?
でも、単純に面白いのは面白かったですよ

リピート




















いろいろ捉え方のある内容ですが、素直に面白かった。
ただ、イニシエーションラブの時にも思ったんですけれど、初めの展開はすごくひきつけられるのに、最後は何で・・・・・

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

伊丹空港のいつも立ち寄る書店で何となく買いました。いわゆるエッセーですが、アメリカの病んでいる部分がわかりやすく書かれています。内容が、本当かどうかは別にして、アメリカが非常に危なく脆い国であることが伝わってきます。
がんばれ オバマさん





  

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2008年11月18日

道を歩いていると

道を歩くと、普段何気に車で通る道でも見たことが無いはじめてみた景色のように目に飛び込んでくることがある。
普段何気に通り過ぎている道をゆっくりと見直してみると案外新しい発見があるもの。
「こんなところに幼稚園があったんだ」
「こんなところにクリーニング屋が」
「こんなところに散髪屋が」
「こんなに野花が散在しながら咲いてんだ」
「空の曇ってこんなに遠かったっけ、沖縄はもっと近くに感じたのに」

ヒトはいつからこんなにも足早に時間を駆け抜けていく生活を強いられるようになったんだろう?
都会では電車が網目のように入りくみながらヒトの時間を運んでいるし、地方都市では車がヒトの時間を運んでいる。
たしかに「働かざるもの喰うべからず!!」
キチンキチンと決められた時間の中を歩けない者は、現代社会では取り残されていく。
仕事ならばあきらめもつくだろう。だけど、そういった「束縛されなければならない時間の外」にいても、ヒトはあくせく時間を短縮しようとする。ヒトは利便性を求めすぎているように感じてしまうのは私だけ?

歩いてるだけで生きている実感が得られるなんて大それたことは言えないけれど、なんていうか、自分の力だけで前進している進んでる充実感と時間を連れている感は味わえる。

今の世の中、楽しいことなんてバーチャル的なものしか見当たらないことが多いように思える。心の中身が空っぽでも、それを満たした擬似幸福感のみで満足してしまうことが多い自分がいる。
「今の世の中、多様化だ」って言うヒトもいるけれど、そんなに色々な考え方や思いなんかを、てんでバラバラにばら撒かれている今のヒトの感性の根っこのところはどこから来てるんだろう?。

心が満たされる事って何なんだろう?
「ヒトは一人じゃ生きられない」・・・・・・当たり前のこと。
でも、この当たり前のことを当たり前と捉え切れないヒト達も多い。私もそうだった。
ズッーと、比較的長い期間「世の中なんて一人で生きていける」って思っていた時期も確かに自分にもあった。

思い上がり?

そんな瑣末な言葉じゃ説明できない。毎日毎日イライラして、どうしようもない何だかわからないドロドロとした揮発性を含んだ爆弾のようなフラストレーションを抱えながら過ごしていた時期もあったなぁ。

様々な時間を通り過ぎてきた今の自分の聞いてみた。

「あの頃の生き方って無駄だったのかなぁ?」

今の私が答える
「無駄な時間を過ごせたからこそ今に続いてるんだよ。無駄に時間を使うことって、何事にも変えがたい贅沢なんだよ」って。

ヒトの記憶に根図強く残るのは「幸福の瞬間」よりも「悪夢の時間」である事のほうが多い。どうしても、ヒトは常に居心地の良さを求め選択しようと脳が行動するため、身に迫ったもしくは感じてしまった恐怖、嫌悪感等を二度と感じたくないがために、逆にそのことを脳はプロットしてしまう。つまり、トラウマの種を植え付けてしまうのだ。自らの意思に反して・・・・・。

ヒトの幸福感なんて所詮は、脳の中で作りだされた自分にとって都合の良いイメージ(マトリックス)でしかない。だからこそ、イメージできないできないヒトは感じる事はできない。毎日毎日悪態ついて、ヒトの悪口言って、自分中心の考え方、自分自分の生き方を送っていて感じるはずが無い。それは、ヒトが元々持っている気質・・・我が儘な生き物だから・・・・・・・。
ヒトは自分が一番大切であり、一番重要なのだろう。
だからこそ、その「一番」の呪縛から抜け出すことができたヒト達こそ、ひょっとしたら幸せになれる切符をも手にしたヒト達なのかも知れない。

自分が一番と思うのがヒトならば、楽しいことなんて見つかるはずが無い(ヒトってなんて傲慢な生き物なんだろう)。
一時流行った「自分さがしの旅」で自分なんか見つかるはずは無いだろう。まずは、「自分が一番」を外してみる事をしない内には(気付かない内には)何をしたって自分で自分を見ることなんかできないんじゃないかなぁ。

本来ヒトは霊長類として、地球上の生物界の頂点に君臨している。しかし、ヒトも哺乳類も両生類も鳥類も爬虫類も生きるために喰らい、生命を維持するために排泄し寝て、子孫を増やすために性交し子どもを生み育てる。
そこに「コミュニケーション能力」が極度に発達したがために目覚めたもの「自我」と呼んだのはフロイトだったか?

何か難しく考えていくと幾らでも難関という迷宮を彷徨いそうだ。

だから私はシンプルに歩いて行きたい。

今日、歩いていてフト考えてしまった。





  

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2008年10月20日

なんてこったい

なんてこったい
パソコンがご臨終になられました
約5年半の付き合いでしたが、昨夜突然立ち上がらなくなりました・・・・・・・・うるうる

今日の朝からエンジニアのヒトに見てもらったところ、ハード自体がおかしくなってしまっているとのこと!!

「中のデータは・・・・・・・・どうなる・・・・・・・・・・?」
おそるおそる聞いてみました
「XPが立ち上がらないだけのようですので中のデータは大丈夫ですよ。CDにでも焼いときます」

おぉ 神よくすん

データだけは、しっかり確保できました・・・・・・・・

5年半前、PC初心者に近かった私は
なんと・・・・・・・バックアップCD作成していなかったのです・・・・・・・・・・・・・・・・・・
OH! MY GODS!!!!!

てなことで、明日にでもヤマダさんちにでも遊びに行かなければならないことになりました
(ちなみに、今は職場のPC使ってますしーっ

近頃、周りの物がよく壊れることが多くなってきました
熊本に来てはや4年を過ぎ、電化製品を中心にそろそろ買い替えでしょうか?
私の普段の使い方が荒いのでしょうか?
わかりませんが・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、今身近な故障品は”バイク”です
レギュレーターの故障みたいですが、こちらは、御年16年ですから仕方がないものとあきらめてますが・・・・・・・・・

電化製品ってこんなにすぐに壊れるものなの?
昔はテレビでも5~6年で壊れることなんかなかったような気がするんですけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、今日PC見ていただいた神様に聞いてみたところ、神様いわく
「最近の電化製品は、昔に比べてすっごく便利になった反面、精密になりすぎていて、デリケートな扱いが求められるんですよ。でも、機械自体への負担が大きいので何十万もするものでも5~6年が寿命と見たほうが良いんじゃないですか」
ですって。ひょえー
すごい世の中になってしまったものだ
機械は精密化が進み、世の中便利になった。だけども消費者の懐具合と反比例している気がしてならない!!!
このままでいいのか日本 わが国よ・・・・・・・・・・・・・・・
見上げるむやみに叫んでしまったけれど、どうにもならないんです。はい わかっておりますが・・・・・・・・・・・・・・・

本厄は過ぎたはずなのに・・・・・・・・なぜ?? WHY???

でも、大切なデータや写真は確保できただけでも良かったのかな

あぁ~~~~~背中に羽の生えた福沢諭吉様が束になって見えます

 







  

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2008年10月02日

夜が涼しくなってきた

久々に書き込みです.

このところ、色々な事が重なりブログどころではなかったなぁ・・・・・・・

それでも、何とか踏ん張って、mental維持に努めてまいりました.心のrehabilitation 疲れます

そんなこんなで、またまた最近読んだ本を紹介しましょうか

最近凝っていたのが、「北森 鴻」

「狐罠」、「凶笑面」、「触身仏」、「螢坂」、「香菜里屋を知ってますか?」と続けざまに5冊を一気読みでした.



「狐罠」は骨董の世界を舞台としていますが、骨董の知識がなくても面白く読めます.宇佐美陶子という店を持たない骨董商「旗師」が主人公も、シリーズ化されています.まだ「狐闇」は読んでませんが、楽しみです.骨董業界の裏側にある魑魅魍魎、百鬼夜行の世界につかって見るのもどうですか?
「凶笑面」、「触身仏」は、民俗学という学問をベースとした物語です.主人公の蓮丈那智の存在感が小説ならではの人物像が非常に面白い.昔からその地方に伝わる伝説や伝統行事の裏側を実際に訪ねながら仮説を立てていく.その様子を第三者的に見れるのもこのシリーズの面白いところです.
「螢坂」、「香菜里屋を知ってますか?」は、三軒茶屋にある度数の違うビールと絶妙なメニューで食ももてなす、ビアバーのマスター工藤の店が「香奈里屋」.そこに集まる客の様々な問題に工藤が道を開いていくお話し.実は、このシリーズは、「花の下ににて春死なむ」、「桜宵」に続く第3弾と第4弾(完結巻)です.本当に、こんな店が・・・・・ある訳きゃねぇーか.だからこそ、面白いんだろうなぁ.

とにかく 全ての作品が面白い!! ここで内容を話しすることがもったいない.ってことで、ぜひ読んでみて下さい.あたりはずれが少ないので、おすすめですグッ

つぎは、伊坂幸太郎著の魔王

今、日本の政治はおかしくなっている.それは指導者にまともな者がいないからだ.様々な他国からの干渉を受け、自資源の乏しいこの国.この国を建直すために国民は新進気鋭の若い政治家を首相に押し上げようと1つにまとまろうとしている.ファッショだろうが何だろうが、そんな国のあり方に、漠然とではあるが、自分の考えていることを第三者にしゃべらせることの出来る力(腹話術)をもった兄が戦い、インスピレーション下での勝負には絶対負けないその弟は兄の戦いから・・・・・・・・・


サヨナライツカ 辻仁成 
カフーを待ちわびて 原田マハ
きみに読む物語 ニコラスバーグ

ひとりの人を愛し続けること.
簡単な様で難しい.
この3冊は、そんな人達の物語です.
「きみに読む物語」の主人公は実在のモデルがいます.こちらは、映画のほうも良かったです.
この3冊とも、映画化されています.

またまた、何冊かの本を紹介しましたが、内容についてはある程度にとどめておきます
本を読む楽しみ・・・・やめられません

ヒトとのコミュニケーションに疲れた時
思い通りに事が進まない時
意味もなくイライラしてしまう時

そんなとき 解決しようともがいている自分自身に答えを与えてくれる時もある

言葉も大切
その言葉を紡ぎながら描く世界も大切だ


















  

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2008年08月25日

まだまだ暑いです

さて 久しぶりのブログです
先月半ばから先週まで、忙しかったな・・・・・・・・・・・・・・・・

やっと一息です

この忙しいさなか、暇を見つけては、本の虫になっとりました
その中で、良かったものを紹介します

1冊目は
「グラスホッパー」井坂幸太郎


妻を殺された夫(主人公)が、その犯人に復讐しようとしますが、目の前で他の誰かに、その犯人を殺されてしまいます。
殺したのは「押し屋」とよばれる殺し屋。さらに「鯨」と呼ばれる「自殺屋」、「蝉」と呼ばれる「ナイフ使い」が登場し、主人公がその中に巻き込まれていって・・・・・・。
というお話です(ヒトによっては、評価が異なる作品かなとも思います。特に、登場人物がどんどん死んでいくところなど・・・)。
井坂作品は、「重力ピエロ」、「アヒルと鴨のコインロッカー」、「オーデュポンの祈り」、「死神の精度」に続いて5冊目でしたが、それぞれが、摩訶不思議な味を出しており、現実にはあるはずも無い事なのに、読み進むうちに「本当なのかも・・・」と思えてしまうぐらい面白い!私は、「現代の御伽噺」として呼んでいることが多いですね。

2冊目は
「セイジ」辻内智貴


主人公は、いわゆる世捨て人です。
しかし、本書を読んで、自分を振りかえることができたような気がしました。
いろいろなことを感じ取ってしまい、1つの事柄からその先の先のそのもっと先の結末を何通りも見通す事が出来るヒト(出来ると思っているヒトも含む)は大変だ。いろんな事が見えすぎてしまい、結局は、何も出来なくなる。
ヒトはなぜ生きるのか?なぜ生きていかなけばならないのか?
同じようなことを、私も考えたことがありました。けど、今となっては、それがいつだったのか?10代?20代?30代?
とても純粋なことは、とても悲しいこと
私はそう感じてしまいました。さて あなたは?

3冊目は
「角」ヒキタクニオ


朝起きたら角がはえていた女性校閲者の話です。
角がはえてから、いろいろなことが彼女の周りに起こります。
その出来事を通じて、彼女は「普通」の生き方を見直していきます。
平々凡々とすごしていく毎日。何か、やるせなさが漂います。
誰もが一度は歩くはずであろう心の中の迷路を角がはえるという非現実的な設定の中でうまく描かれています。
ヒキタクニオというヒトは、「狂気の桜」の作者でもあり、かなり、暴力的な作品が多いんだと勝手に決め付けておりましたが、本書を読んでからは見方が変わりました。
暴力的な描写の中にも、ヒトの弱さや脆さ、危なさの中に見え隠れする狂気、「普通に幸せであること」に疑問をもってしまうヒトの身勝手さ、様々なものがいろいろな表現で凝縮されているんだなぁ っと感じられる作家さんの一人でした。後の作品もぜひ読ませていただきます。






  

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2008年07月15日

暑いです

今年は本当に猛暑だ。
暑すぎる。
去年の今ぐらいもこんなに暑かったんだろうか?
去年の今日(7月15日)は台風4号が関西方面を襲撃、九州は全般的に曇りで、気温は最高気温が23.3度、最低気温が20.0度とあった。
本日の熊本の気温は35度を予定しているとの事。
去年以上に暑さに苦しみそうです。
私はというと、この前の日曜日に芦北にキス釣りに出かけたのですが、この猛暑の中、帽子もかぶらず炎天下の中にいたこともあって全身に日焼けというよりは”火傷”に近い状態。
帰りの車の中で、「なんかふらふらするなぁ」と思いながらも無事自宅へ。
帰ってから、クーラーボックス等を洗浄し、シャワーを浴びた跡、「??????」なんかフワフワしてきた。
熱を測ってみると「38.0度」
「ヒエー これって熱疲労!?」
そうです、日射病一歩手前までいってしまってました。
翌日は、体も動かず熱も引かずで結局仕事を休む羽目に・・・・・・・・・・。
あ~っ オレってバカだ~ 
心の中で大きく叫びつつ、昨日を過ごしました。
本日は熱も引き、無事仕事に戻った次第です。

そんな訳で、昨日は1日家で水分を補給しながら本を読んでました。

昨日読んだ本は以下の2冊でした。面白かったので、紹介しときます。

1冊目は
イルカと、海に還る日/ジャックマイヨール 著,関 邦博 訳























知る人ぞ知るあの映画「グランブルー」のモデルになった人物です(ちなみに、海中では潜れば潜るほど、上下左右すべてが濃いブルーに包まれるようになる。これを「グランブルー」とよぶ)。
人は水深60メートルを超えて素潜りすると、水圧によって死に至ると考えられていた時代に、Jマイヨールは、閉息潜水(またはフリーダイビング)で生理学の常識を打ち破り、人類で始めて水深105メートルへ到達したヒトなのです。
本書は「グランブルー」の話ではなく、Jマイヨールが生涯をかけて、海に潜り続ける事で何を目指したのかが、彼の手記を軸に展開していきます。
Jマイヨールは、イルカのような人間 いやイルカと共存できる人間の創造を夢見たヒト。
それでいて、「冒険家でかんしゃく持ちで熱情家」という兄の言葉通り、我が儘に生きたヒト。
水中でのヒトの活動性をひとつの学問として追求していったヒト。
年々感じていく自らの”老い”を認めたくない高いプライド。
彼は、最終的には自ら命を絶ちます。
閉息潜水に興味がないヒトでも、面白く読めると思います。
ただ、少し、水中での閉息時間を延長するための理論については??と思う箇所もなきにしにもあらずですが・・・・・・・
以下は本書におさめられているJマイヨールからのメッセージです。

日本の読者の皆さんへ
深海の、果てしなく青一色の世界の静寂に包まれてただ一人となるとき、時間と空間と光はひとつのものとなり、私は私の呼吸を一時止めて宇宙の呼吸に身を委ねる。その時私は両棲人間という私の真の本性と再会し、ひとつの“宇宙の歯車”に再び還っている自分を再発見する。
皆さんが私に続いてくれますように・・・ジャック・マイヨール

続いて2冊目は
長い長い殺人/宮部みゆき 著






















”楽園”以来久々に宮部みゆきを読みました。
本書をよんで驚かされたのはストーリーテラーがなんと”財布”なのです。
いつも驚かされますが、今回は本当に驚きました。
様々な手練手管で読み手を圧倒する文章には脱帽です。
内容は、これから読む人たちの楽しみを奪うことになるんで書きませんが、財布の語り部という他に類をみない設定のみでなく、最後まで楽しめますよ。













  

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2008年07月10日

A Novel

なんと、1ヶ月振りです
本当に6月は忙しかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京日帰りを含めて、名古屋、大阪、兵庫、奈良、三重への出張三昧で・・・・・・・・・・・・

つ つ つ かぁ れ たぁ ~

でも
自分でたてた出張計画だったんですね
プランニングしている時には問題なかったんですけどね(むしろ楽しんどったかも)

さて
この間に読んだ本が数知れず・・・・・・・・・・・・・・・・
その中でも良かったものを少し紹介します
(実は私は活字中毒者でもあったんですニヤリ


まず最初は
ベルンハルト・シュリンク/著 松永美穂/訳






















第二次世界大戦後のドイツのお話です。
主人公が15歳の時にアンナという30代半ばの女性と恋に落ちます。
何もかもがうまくいっていたと思っていた主人公の前からアンナは突然姿を消すのです。
その後、主人公が大学生になった時に、思わぬ場所でアンナと再会することになるのですが・・・・・・・

読み進むにつれて、単なる恋愛話ではなく、ヒトの心に落とされた暗い影を振り払うことはできない、ましてやそれを咀嚼しながら生きていくこともつらい・・・・・・・。
そんな人生を送らなければならなかったヒトの気持ちって・・・・・・・・・・。
そんなヒトの最後の選択って・・・・・・・・・・・・・・・・・。
この続きは、本書をどうぞ

次はこれ
横山秀雄/著






















今、公開中の映画「クライマーズハイ」の原作です(2~3年前にNHKで、佐藤浩市主演でドラマ化もされています)。
書店の店頭にドカーンと並んでいた本書を手に取り、”映画化”の宣伝文句で衝動買いした作品でしたが、久々に、一気読みしました。
北関東記者の悠木(主人公)が遭遇した、御巣鷹山日航機墜落事故取材についての様々な人間模様を描いた力作です。
悠木は以前に死なせた(!?)部下を引きずりながら、出世からも外れ、40歳を超えても一記者を続けている。さらに私生活では、息子との人間関係もうまくいかず、家族の中で浮いている状況。そんな折、御巣鷹山日航機墜落事故が発生する。
そんな悠木を心配した報道局長は、悠木を未曾有の大惨事に対する全権デスクに任命します。
スクープ記事をめぐって、上司の嫉妬により懸命に事故現場からとばした記事の握りつぶし等の内部による様々な妨害工作。
悠木は改めて考えます。
「本当に新聞が伝えるものとは何なのか」
「地方新聞の在りようとは」  と。
自問自答しながら繰り返される取材の日々、同時進行していく、同僚の事故に隠されたやりきれない想い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

本書は作者が上毛新聞で記者時代に実際に経験した出来事をベースに書かれており、私は、ドラマも映画も見ていません(映画は観ようと思っています)が、とてつもない臨場感が本書から伝わってきます。
もし、今から、映画を見ようとしている方も見た方も一度読破されることをお勧めします。
本当に読み応えのある本でした(ここ10年間で読んだ本の中でも自己ベスト3には入るほど)。

最後にもう一冊
白石一文/著






















主人公は、仕事を辞め、5年間は何もしないと誓い、「生きていてもしょうがない」と思いながら生きている。主人公は、ある女性との出会いから自殺未遂を起こす。そして、生きていく意味と意欲を無くした主人公が、”生きる”ということを自分の心の中のパーツに埋め込もうとする・・・・・・・・。

確かに誰でも「生きるって?」と考えたことがあると思います。
ヒトって自問自答した時や夜ひとりで考えを巡らしている時に導き出される答えはnegativeなことに辿り着くことが多いように思います。だけど、その時に浮かんだ事柄を実際に実行しようとしたり正しいと思うヒトは誰一人としていないでしょう。
でも、そんな由無し事を考えていかなければ日々やっていけない心が疲れたヒトもいるのも事実。微妙なバランスの中でヒトは綱渡りのように生きているんでしょうか?
内容的には、様々なプロットで「んっ?」と思う箇所もありますが、主観的な目線での書き方から、考えさせるような部分もあり、自分としては面白く読めた作品でした。









  

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2008年06月02日

今日の1本!

今日は仕事も早く終わり(終わらせ?)一路帰宅
久々に映画でも と取り出したのが「ショーシャンクの空に」でした

この映画は、1994年に公開された作品です.あまりにも有名な映画なので解説はいらないと思いますが、簡単にストーリーを説明すると、冤罪で刑務所に入れられた主人公(ティムロビンス演じる”アンディー”)が、刑務所内で受ける様々な苦悩や絶望を独力で乗り越え、最後には自由を得るという話です

「刑務所」という一種特殊な設定の中でストーリーは進んでいきます
アンディーが同じ服役者の性の捌け口にされたり、刑務所所長の裏金の管理や看守の不当な暴力など滅茶苦茶なめにあいます.そしてアンディーが収監され続けた末に自由を求める事を決心するきっかけとなった事件が起こります.
コソ泥で何度も刑務所と娑婆とを行き来するだけだった文字さえも読めなかった若い受刑者が、高校卒業資格を取りたいとアンディーに頼みに来ます.そして1年間付きっ切りで高校卒業資格を取らせたのですが、或る日、その若い受刑者が以前違う刑務所に収監されていた時に同じ部屋になった男が、この主人公が冤罪となった殺人事件の真犯人であったことを主人公が知ります.所長に直談判するもあっさりと拒否され、さらに懲罰房に2ヶ月間も入れられる羽目になります.所長自身の裏金を管理していたアンディーが居なくなれば所長自身が困るからです.そして、あの若い受刑者も口封じのために射殺されてしまいます.
普通ならば、この変で精神的に病んでしまうヒトも居るかもしれません.
だけども、アンディーは踏ん張ります.そして・・・そして・・・自由を得るのです(ここから先は映画を見てもらったほうがよろしいかと思います).

元々、本映画の主役は2人いると思います.一人はティムロビンス演じる”アンディー”とモーガンフリーマン演じる”レッド”です.
ティムロビンスはこの映画の前、1986年公開の「トップガン」や1990年公開の「ジェイコブスラダー」から知ってはいたのですが、「暗い役が似合う役者やな~」って思っていましたが、この映画でもやっぱり「暗い役」でした(笑)

この映画では、アンディーに目がいきがちですが、もう一人の主役モーガンフリーマン演じる”レッド”良い味を出しています.
(私は、この役者さん 好きですね~.この映画の翌年に公開された「セブン」、1997年公開の「コレクター」、1998年公開の「ディープインパクト」、2004年公開の「ミリオンダラーベイビー」(アカデミー賞助演男優賞受賞)等でもいい味を出しています).

この映画の中で印象的な場面は幾つかあったんですが、その中からお気に入りの場面を

レッドは、仮釈放を願い続けては拒絶され続けていました.
しかし、アンディー媒体に彼の悲惨な日常を目の当たりにし、そして克服していった彼と過ごした時間や、先に仮出所していった年老いた同じ受刑者が刑務所暮らしが長かったために社会に順応できず行き場を失い自殺してしまうなどの経験を通じて、少しずつ彼は変っていきます.
そんな或る日の何回目かの仮釈放許可申請後の面接で判定員達が尋ねます
「十分、更生はできましたか、後悔していますか」と
レッドはこう答えます

I look back on the way I was then then, a young, stupid kid who committed that terrible crime. I want to talk to him. I want to try and talk some sense to him, tell him the way things are. But I can't. That kid's long gone and this old man is all that's left. I got to live with that. Rehabilitated? It's just a bullshit word. So you go on and stamp your form, sorry, and stop wasting my time. Because to tell you the truth, I don't give a shit.
訳)一日だって後悔しない日はないよ。この中にいるから言っているんじゃない。恐ろしい犯罪を犯した若僧だ。俺は彼と話したい。おろかなことだと。でもそれもできない。その若僧はもういない。残っているのはこの老人だけだ。俺はそれを受け入れたよ。後悔しているかって?そんなの作られた言葉だ。もう用紙に判子を押してくれ。悪いが時間の無駄だ。別にどっちだっていいんだ。

今まで、「十分更生しました」っと口先だけの反省を繰り返し続け拒否されていたレッドからは考えられないパラダイムシフトをみせます.
結果として、半ば自分の残りの人生に初めて向き合えた時つまり更生できた時・・・仮釈放が許されるのです.

この映画の軸は、アンディーの悲惨ともいえる日常生活からの自由の獲得とアンディーから”信念”を学んだレッドが自分で自分の人生を見つめ直すことで自由を獲得するまでの経過です.

私は、この映画を見るたびに感じることがあります

「ヒトはどんな事があっても”諦めてしまえば”そこから何も変らないんだということ」

「ヒトはいくつになっても考え方を変えることができる可能性をもっているんだということ」

「”諦める”ということと”達観する”ってことはちがうんだということ」

「どんなに悲惨な目にあってもそれを打破していく信念と勇気と希望を捨ててはいけないということ」

何か散文的主観性重視の文章になってしまい、うまく伝えられたとは思えませんので(142分と長い映画ですが)まだ観られていない方は、ぜひ一度見てください.
何かを感じる映画だと思いますよ.
うまく伝えられず申し訳ない.
あ~つくづくボキャブラリーの少ない自分がなさけなか・・・・・

  

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2008年06月02日

おまけ

沖縄の空もきれいだったんですが、前回載せるのを忘れてまして・・・・・
あらためましてぬふりん
A&Wのポテトもついでに(何のついでやら・・・・・)






















  

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2008年05月30日

里帰り?

半年振りぐらいに沖縄に帰ってきました
2泊3日の小帰郷です
生まれも育ちも大阪なんですが、何かの縁で沖縄に約9年居ましたんで、子供の時に見て感じて育った風景が跡形も無く消えてしまっている大阪より沖縄の方が故郷のように感じています
以前のスタッフの結婚式に呼ばれたんですが、なかなか感慨深いものがありました
彼が入職してきたのは、今から5年前
礼儀作法ができておらず、行動も無茶苦茶でよく怒鳴ったものでした・・・・・
その彼が・・・・・・
時の流れって早いものです




















まぁなんやかんやで2日間は島酒飲みっぱなしでしたけどぬふりん

前の職場にも顔を出したんですが、退職してから3年半ほどしか経っていないのにも関らず、知っているメンバーよりも知らないスタッフのほうが多くなっていて、「ほんま、外部のヒトになってんやな~」ってしみじみと実感しました(少~し寂しいね)

宿泊は、以前のスタッフ家に1泊、ムーンビーチホテルに1泊
久しぶりに日本で唯一の亜熱帯気候である沖縄の太陽と熱気を浴びてきました
出発1日前に「梅雨入り」したんで天気を心配してましたが、私が居た3日間は、ほぼ晴天晴
やっぱ、普段の行いでしょうね ムフフ・・・




















ちなみに熊本の海と比べてみてください




















帰りがけに、沖縄のアウトレットモールで食事を済ませ、一路熊本へ





















久々のねっとりとした熱気と元気な太陽、手に届きそうな入道雲たちから、マイナスイオンのプレゼントを体の隅々に充電してきた・・・・・そんな3日間でした

啓輔 おめでとうな


さぁ 仕事がんばろっと・・・・・・・




  

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2008年05月23日

今から

仕事も久々に休暇をとり、これまた久々に沖縄へ帰ります

前の職場の部下の結婚式に招待されたのでした

わずか3日ではありますが、心地よくマイナスイオンを浴びてきます

では飛行機パー

元自宅近くのサンセットビーチ


























  

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2008年05月23日

ヒトを信じる

簡単なようで本当に難しい

言葉の重さを感じ取れるヒトはいいよね

何千、何万の言葉を重ねようとも、何も伝わらない事もある

間違いなく幾人かのヒト達には伝わる言葉も

たった1人に伝わらない事がある

「あなたを、きみを、おまえを信じてるぞ」

何度口にしたことだろう
だけど伝わらないんだ・・・・・・

ヒトの心の中なんて、本当は他人にはわからないのかも知れない

結局はドラマの中での”戯言”なのかもしれない

けど、けど、いわずに居れない自分がいる

心配で?職務として?指導する立場として?大人として?

自分の価値観が多くのヒト達との共通言語であったとしても、たった1人に伝わらない言葉ってなんだ?

若い時には色々悩む事は多いけれども

すぐに「あきらめ」を選択することが多すぎる

我々の責任だ

昔に比べて、今は物質的には豊かになった

しかし、その中で、子ども達に教えるべき良識と常識と社会性までもが

日常生活の中に電波に乗ってあふれだし、いつの間にか覚えてしまった様々な他人の行った言葉を自分の言葉に置換され、

そして子ども達は雄弁になった

ヒトから借りた言葉の理論武装だけで社会性は身に付かないことを気付きながらも修正する人間力だけが落ちていった

育てていくと事と甘やかせる事の意味を取り違えているヒト達が多い今の世の中

本当に被害者なのは、そんな環境で育ってきた子ども達だ

3~4歳の子どもの視点を変えることと、20歳を過ぎた子ども達の視点を変えていくことの難しさを

今、改めて痛感している






  

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2008年04月28日

卒業生達と

昨晩、卒業生達との飲み会でした
去年、ひとりだけ、国家試験に落ちた者がいて、今年2回目の挑戦で見事
合格
そのお祝いでした

卒業して2年経った彼らは、やっぱり逞しくなってました
在学中は「ほんま、こいつ大丈夫か?」って奴らもみんな、いっちょ前の口を聞くようになってました

学生の時の出来、不出来がそのまま将来像にあてはまる事は無いです
本当の勝負は卒業して、国家試験を獲ってから、始まるんだな~って実感した昨夜でした

本当にそんな彼らを見ながら飲む酒は美味いな~

  

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2008年04月25日

自分自身を変える事

「自分自身を変える事」って大変だし、難しい.
「切迫された場面になると、いつも背を向けてしまう.こんな自分は進歩しない」って思うヒト
「そんな自分が嫌で嫌で仕方がない」って感じているヒト
自分自身がどうしようもなく惨めで、もがいてもがいて、だけど、どうしようもなくて・・・・.
周りのみんなが励ましてくれている.
本当にありがたいことだとはわかっていても、でもどうしても、雑音にしか聞こえない時がある.
そんな時は、自分自身を呪う、こんな自分を・・・・・・・.
何故こんな事ばかり考えてしまうのか、考えても考えても解らないから、誰かの責任にしたくなる.
誰かが悪い事を自分にしたからだと、第三者を非難したくなる.
だって、そうする事で、なくなりそうな自分自身が見えてくる気がするから・・・・・・.

みんな、みんな、客観的に自分自身を自覚できている.

ヒトって、心の中で“プラス”と“マイナス”をいつも共存させて生きているんだって思う.そして、その時々で、自分の都合に合わせて、“プラス”か“マイナス”かのどちらかを強攻させる.でも、そんなスイッチを自分の中に持っていないヒトは“プラス”か“マイナス”かのどちらかでしか自分の思いを表現できない不器用さが、どうしても付きまとってしまう.

それでもいいから
ゆっくりでもいいから
本当にだれも責めることはしないから
ゆっくりと ゆっくりと ゆっくりと ゆっくりと 歩いていこうよ
それが、自分を変える第一歩なんだから・・・・・

難しく考える必要はどこにもないから
ただ 普通に 歩を進めていくことの繰り返しだから
責めないで、自分で自分のことを
今は、全てのことを あきらめてもいいから
必ず歩き出そう 必ず・・・・・・・・
  

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2008年04月24日

意気消沈

どんなに言葉をかけたって、相手の立場に立って(そう思い込んで)話し合っても、通じないものは通じません
目の前にある道を外れていくヒトに声をかけ、引きずってでも元の道にもどそうとして必死で呼び止め、元の道を歩かせようと試みる.
「もう大丈夫(だろう)」と少し距離を置くと、たちまち脱線してしまう
なぜなんだろう?
あの時言ったじゃない「がんばります、もう迷いません」と
あの時言ったじゃない「今の自分から変わりたい」って

でも・・・・
こういった一般的な理屈で話しをしていても、逆にそれが「(自分で)わかっている事もできないなんて、自分は一体どんな存在なのか」に始まり、「慰めてもらえなければ前に進めない自分なんて、存在価値があるのだろうか」になり、「自分なんて生きていても何の意味もない」となっていくこともある.
ヒトが道に迷った時に導いてやれるように思って言った言葉が逆にその人を苦しめる・・・・・・・これって何なんだろう・・・・・・・・
  

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2008年04月17日

がんばれがんばれ

毎日の多忙さから来る疲労感
自律神経が毎日毎日悲鳴を上げる日々が続いてしまうと
本来の目標を見失ってしまうことって、誰にでもある事です.

でも、そんな時、大地にしっかりと足を踏ん張って欲しい.
今は辛くても、いつか実は結ぶものと信じて欲しい.

自分自身がボロボロになってしまったと感じてしまった時、顔を挙げてまわりを見てください.
きっと誰かが、あなたを見ているはずです.

何をやっても中途半端で、苦難に対して逃げ癖をつけてしまった自分自身に気付いてしまった自分を見つけてしまった時って本当に辛いものです.
嫌で嫌でたまらない自分自身を変えたいけれど、どうしても一歩を踏み出せ切れない・・・・・・.
そっと背中を本当は押してもらって、「がんばれ」のひとことがほしいのに、素直になれない・・・・・.

そんな時は頼っていいんだよ.
親でも、兄弟でも、友達でも、恋人でも、同級生の仲間でも、先生でも、職場で同じ立場で頑張る同僚でも、
そんな時は頼っていいんだよ.

今まで、自分の考えでなんでも解決してきたヒトは、自信を持って生きています.
だけど、はじめて自分自身の考え方以外のモノも取り込まなければならなくなった時って、ヒトは必ず戸惑います.
「ヒトは、自分の持っている知識だけでは解決できない事もたくさんある」って事、頭では理解していても、いざ目の前に自分では太刀打ちできない難題が立ちふさがると、自分自身に自信を持って生きていたヒトだからこそ、そこから生まれるリバウンドは想像を絶することでしょう.それは、生まれてはじめて、自分が歯が立たないモノとの遭遇だから・・・・.

逃げることは簡単です.目の前に続いているであろう道から目を背けて、後ろに広がる無数の後退を歩けばいいんですから.
そして、「いつかは、自分にあった道がどこかにあるだろう」ってないものねだりを続けながら彷徨えばいいんですから.

辛い思いをしているのは、自分だけでは無いという事に気付いてください.
みんな、色々な苦労をしながら、目標に向かって一歩一歩進んでいるんです.

自分自身で100%がんばって、200%がんばって、それでも前に進めない時には、いったん止まってみるのもいいんじゃないですか?止まってしまっても、その場所で、充電しなおしてから、パワーをつけてから、また、進み始めてもいいじゃないですか.

なんでもかんでも、すぐに答えを求めないで!
他人より、目指した場所に辿り着くのが遅くても良いじゃないですか.
きちんと、自分の足で歩いて辿り着く事ができれば.

今まで経験した事がない事をしているのだから、一歩を踏み出す勇気を持ってください.
自分ひとりの力で、どうしても踏み出せないようだったら、みんなが背中を押してくれるよ.

がんばれ!!



今日、ひとり、学生が実習中、道に迷ったようです.
本当に悩むって事を経験した事は素晴らしい後々の財産になりますよ.きっと!!
専門職に就くって事がどれだけ大変な事で、どれだけの努力が必要なのか.
ここが踏ん張りどころです.
私も、私の先輩もみんな悩まなかった事なんて無いんですから.

あと1週間、逃げずに頑張ってきてくれる事を願うだけです.






















がんばれがんばれ

いつだってびっくりさせて
心配させていけないね
それだって嬉しくなるから
父さんがいたらきっと怒られる

いつでもここにいるから
帰ってきていいんだよ
そう思えばあとひとつふたつ
できる我慢もふえるでしょ
がんばれがんばれ

長い雨がやっと上がったから
犬と散歩をしてきたよ
ちっちゃい頃のおまえのまねして
水溜りで遊んだよ

気が強いくせになんだか
泣き虫だったね
ポロポロ涙こぼれているのに
泣いてなんかないっていいはって
がんばれがんばれ

はやいようで
長いようで
これまでも
これからも

庭先に植えたコスモス
きれいに咲いてくれたよ
父さんに代わって毎年
種をまいているからね

いつでもここにいるから
帰って来ていいんだよ
そう思えばあとひとつふたつ
できる我慢もふえるでしょ
がんばれがんばれ


by SION



  

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2008年04月16日

難しい

対人面での接し方に問題があるヒトも、なぜそのような接し方をするのか、なぜそんなにふてくされたような態度をすぐとるのか、その個々人がもつバックグラウンドがはっきりと垣間見れたと感じる瞬間から、なぜかそのヒトに対する自分なりの見解が変って行く事が多々あります.

ヒトは目でモノを見ますが、実際には、眼球の奥にある視神経によりとらえられた画像が視索という通路を通り、右目でとらえた画像や映像は(右視野)左側へ、左目は(左視野)右側へ交差し、間脳にある視床という部分の外側膝上体を経て、大脳皮質の後頭葉(大脳の後ろの部分)にある視覚野と呼ばれるところに伝えられます.
そして視覚野に伝わった情報は、その映像や画像を分析し、解析し、理解し、認識する視覚関連領野と呼ばれるところに伝わります.
そこには2つの情報伝達経路が存在していまして、後頭葉から頭頂葉(大脳のてっぺん部分)に伝わる経路と後頭葉から側頭葉(大脳の横の部分)に伝わる経路があります.
後頭葉→頭頂葉の経路では空間的な位置関係についての情報が、後頭葉→側頭葉の経路では物の形に付いての情報が処理されるといわれています.要するに、私たちが普段見ていると思っている映像は、大脳が外部から伝わってきた「視覚」という情報を元に作り上げている映像や画像なのです.
と、いう事は個々人で共通視しているであろう物質がコミュニケーション上「イコール」であったとしても、個々人ごとに異なる映像を思い浮かべている(とらえている)可能性も否定できない事になります(映画の「マトリックス」の世界もあながち虚構の話ではないのかもしれません).
このように、ヒトには、備わっている運動生理機能的な一律性は共通項として持っているものの、「モノのとらえ方」や「認識」という立場からは個人差が生じているということになります.つまりは、「この世の中に同じ脳を持つヒトは存在しない」のです(このことを”個性”と呼んでも良いと思っています).

また脳は大体”8歳”頃には、大人と同じ大きさにまで成長し、脳として完成します.つまり、成長が止まるのです.
それでは、脳の成長が止まれば、ヒトは学習することが出来なくなるのでしょうか?
答えは”NO”です.学習できます(脳を構成している20%の神経細胞と80%グリア細胞が死なない限り).
ヒトは、頭の先から爪先まで細胞で出来ています.この細胞のひとつひとつが神経と呼ばれる回路でつながっています.この神経回路は、生きていく間に増殖していきます.そうです.脳は、この神経回路を増殖していく事で学習していくのです.
こう考えると、変る事ができないヒトはいないことになり、ヒトは様々な形で学習し、常に個性を練り直しながら作り上げていくことができるのだということになります.

全く知らないヒトと始めて会話をする時など、知らず知らずの内に警戒してしまいます.
この時の”ファーストインプレッション”でその後の人間関係がややこしくなってしまう事もありますし、スムーズに行く事もあります.
人間関係がややこしい、めんどくさい、難しいと感じる理由のひとつに、一度ヒトの悪い面や受け入れがたい一面、そういった所を見てしまうとなかなか良い点が見えにくくなってしまうことが挙げられます.
でも第一印象が好くても悪くてもそれが後々未来永劫まで続いていく事は稀です.ヒトの印象は変って行くのですから.

これらの事は、非常に大人社会的な(?)連帯性の中で生じてきた問題であると認識していましたが、マスコミを通じて耳に入ってくるニュースなどから今の世の中を見ると、もっともっと若い幼い世代にもその影を落としているように感じます.

どのようにすればヒトは変って行くのかなんて絶対的な方法は確立されていませんし、無いと言ってもいいと思います.
でも、でも、でも、ヒトは必ず変って行く要素を持っています.
全てのヒトは、変えることのできる共通のアイテムを生まれた時からもっているのですから.
しかし、ヒトは、自分自身の考え方ひとつ、モノのとらえ方のバリエーションを増やしていく事だけでも、思考パターンを変換できるとわかっていても、なかなか自分で信じている事や思い込んでいる事を変えていく方向に目を向けて行く事は至難の業です.
私も、自分が感じたヒトの印象でそのヒトの善悪や相性の良さを決めていたような時がありました.
「ヒトなんて、ある程度の歳になれば変る事は絶対にない」なんて事も考えていた時もありましたし、「生理的に受け付けないヒト」を作り上げてきたような気がします.

「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で有名だった映画評論家の淀川長冶さんは、自分の人生観、人間観について、よく次の様に語っていたそうです.

「私はいまだかつて嫌いな人に会った事がない.好きになる事がどんなに人を助けるか私は知っている」

「ウエルカム・トラブル、苦労来たれ、苦労が人間を強くするんだ。悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ」

”好きになる事がどんなに人を助けるか私は知っている”って胸を張って言えたらな・・・・・って思います
”悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ”・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヒトの気持ちが汲み取れるようになりたいです












  

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2008年04月12日

チベットで思うこと

久しぶりに好きな音楽を聞きながらゆっくりと過ごせています

先月に何気なく購入したCDをバックに書いているのですが、1カ月もほとんどゆっくりと聞く機会に恵まれなかったのですが、ようやく今晩ゆっくりと耳にすることが出来ました。
その中の1枚は、いわゆるオムニバス版なのですが、好きなミュージシャンばかり!!
ミルトン・ナシメント、ジューサ、ジョイス等など心地よいワールドミュージックが家の中をおおっています。
今日は昼風呂という贅沢以外は、何もせずに只々ごろごろして過ごしておりました。
う~幸せですなにっこり


いつものごとく突然話はかわりますが、最近、オリンピック聖火リレーに対する抗議活動の様子が毎日TVのニュースで流れているのを観ます。
そう、いわゆる”チベット問題”に端を発した抗議行動ですね。
毎日のTVでは、聖火リレーに対する抗議行動のみの報道がなされているだけですが、なぜ、このような大問題になっているのかをたどると、チベットにまつわる大きな問題が背景に存在するってことを聞きました

チベット問題は今回のラサ暴動が大きくマスコミに取り上げられた事から日本でも知られるようになったのですが、なぜチベットのラサで暴動が勃発したのでしょうか?

調べてみました。

チベットは、「世界の屋根」と呼ばれる地域にあり、その国土の平均標高は富士山より高い海抜4500mであり(低地でも3500m)、空気中の酸素は平地の3分の2ほどです。チベットは例えれば「アジアのバチカン」とでも言うような宗教国家で国民の5人に1人が僧侶でした。ほとんど祈る事だけで成り立つ国といっても過言ではなく、中国からではなくインドから伝わった”大乗仏教”に基づくチベット仏教を厚く信仰していました。その宗教の長が「ダライラマ法王」なのです。ダライラマ法王の下に、内政・外交ともに統治されている平和的な民族が暮らしていたのがチベットなのです。

チベットは、元々古代から独立国家だったのですが、1723-1724年に当時のチベットの王朝であったグーシ・ハーン王朝がダライラマの継承をめぐって王族内に激しい対立が生じ、モンゴル高原の有力部族連合であったオイラト族連合に属した諸部族の民族であったジュンガル部と清朝など外部勢力を導きいれての内紛を起こして衰え、清朝の雍正帝に征服されました。しかし、1911年に起こった辛亥革命により清朝は滅亡し”中華民国”が建国されました。1912年清国の滅亡後、チベットは再び独立国家となります。
この1911年の辛亥革命で中華民国の建国が宣言された際、チベットのダライ・ラマ政権は完全な独立を模索し、1913年にはモンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結、2国が手を携えて漢人の共和政権である”中華民国”に対抗する姿勢をとります(要するに”完全独立宣言”をしたんですね)。

しかし1940年、ダライ・ラマ14世の即位式典に列席した中国国民党の使節団は、式典のちも帰国せず、1948年に強制退去させられるまで、「中華民国蒙蔵委員会駐蔵辧事処」を名乗ってラサにとどまり続けたこともありました(1947年ニューデリーで開かれた第1回アジア諸国会議にもチベットは1独立国として参加。チベット政府発行のパスポートを英米ほか各国が承認している史実から、当時のチベットは名実ともに独立国の位置付けであったことが伺えるにも関わらずに)。

清国の滅亡以来、中華民国歴代政権は独立国として存在していたチベットを「中国の一部分」だとする主張を行っていたが、北京政権時代は「軍閥の混戦」、南京国民政府時代は対日戦争への対応におわれ、独立を主張するチベットに対し圧力をかけ続けていたものの、本格的な軍事侵略は行っていませんでした。
しかし、1949年に国共内戦に勝利した中華民国は、”中華人民共和国”を建国します。そして”無宗教の社会主義国家”を樹立した中国共産党は、「チベットは中国の一部分」とする中国歴代政権の主張を踏襲し、いよいよチベット全土の「侵略」を目指して、1950年に中国人民解放軍による軍事行動を発動しチベットを軍事制圧し、1951年、中国共産党はチベット政府に「17箇条協定」を締結させ、チベット全域が中華人民共和国の実効統治下に組み入れられたのです(中国共産党は、結党直後は、かつて清朝の支配下にあった諸民族の「民族自決権」を認め、1931年に江西省で樹立した「中華ソビエト共和国」時代には、チベットを含めた諸民族に対し、「民主的な自治邦」を樹立し、「自由に中華連邦に加入し、または脱退できる」と規定する憲法を制定するなど、高度な自立性を認めていたが、1949年の「中華人民共和国」建国以降は、「チベットは中国の不可分の一部分」という主張に転じ、今に至っています)。
東西冷戦に加え、文化大革命が行われていた時期は中華人民共和国とチベット亡命政府側にまったく交渉はなかったが、1970年代末以降接触が再開、チベット側は、「完全なる独立」を取り下げ、「中国主権下の完全な自治」・「チベット全域を単位としたチベット人の自治行政単位の設定」などの主旨で妥協する提案を何度か行っているが、中華人民共和国側はこれを「形を変えた独立の主張」だとして拒否しています。

そして、ダライ・ラマ14世がインドに亡命したのには理由があります。
1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による併合」に抗議するチベット動乱が勃発します。1959年には事態は一層悪化、人民解放軍のダライ・ラマ14世に対する観劇招待を、ダライ・ラマ拉致の口実と疑ったラサ市民が夏の宮殿ノルブリンカ前に集結(これがいわゆる“ラサ決起”です)しました。それに対して、中国人民解放軍は大弾圧を始め、宮殿への集中砲火は41時間続き、その後砲撃は4日間におよびます。人民解放軍による解散要求の後、ダライ・ラマ14世はラサを脱出します。ダライ・ラマ14世は、国境を越える直前、「チベット臨時政府」の樹立を宣言し、インドへと亡命したのです。なおこの動乱により、宮殿は破壊されつくし、何万という民衆が殺され、数千を数えた寺院が人民解放軍の攻撃により数百に減ってしまい、仏像などにも深刻な被害が出たとされています。チベット動乱以降、最高指導者ダライ・ラマ14世、政府ガンデンポタンのメンバーらをはじめ多くの僧侶や一般農牧民たちがインドなどに亡命、十数万人から成る亡命チベット人社会を形成するに至ったのです。

ラサ市では当局の厳しい締め付けにもかかわらず、地元チベット系住民や僧侶の抵抗運動も時折発生しています。チベット動乱によりダライ・ラマ14世がラサを脱出して30周年にあたる1989年3月には、大規模な抗議運動が暴動にまで発展し、多くの死傷者を出しています(それ以降、外国人のチベット訪問には多くの制限が設けられており、中国政府により、現在でも外国メディアがチベットから自由に報道することを禁じられています)。

その後、中国共産党政府はチベット国民に対する非常に残忍な弾圧や虐殺を繰り返し行なう事でチベットを抑圧支配し続けており、さらに漢人の移民を故意に実行し現在ではチベットにおける漢人とチベット人の人口比率は逆転していると言われています。
弾圧の状況について、ダライ・ラマやチベット亡命政府から発表された一例を挙げると、2007年8月に四川省のチベット族居住地区で行われた祭りでは、「ダライ・ラマの帰還を願う」と大声で叫んだ1人のチベット族男性が当局に逮捕されたことをきっかけに、数百人の民衆と警官隊が衝突、多数の民衆が殴打されました。その数日後、軍兵士ら計約1万人が出動、住民4000人の村を包囲し、不穏分子を次々と逮捕した、またダライ・ラマが米議会から議会名誉黄金章を授与された当日の早朝、ラサでチベット仏教の僧侶数百人が受章を祝う活動を行っていたところ、4000人の武警や軍兵士が出動し、多数の僧侶を殴打し、数十人の僧侶が逮捕された、とされています。
そして、同じく49周年となる2008年3月には、3月10日のデプン寺の僧侶によるデモに始まる抗議運動が、3月14日には大規模な暴動に発展し、多くの死傷者を出しています。米国の短波放送・自由アジア放送などによると、僧侶や尼僧を含む10人あまりのチベット族がチベットの旗をふり、ビラを配りながら抗議活動を行ったところ、中国政府の武装警察が殴るなど暴力で抗議活動を鎮圧。聖職者への突然の暴力に、パニック状態になったとされています。また、300人の僧侶が参加してデプン寺からジョカン寺までデモ行進する計画があったのですが、市中心10キロの地点で武装警察に鎮圧され50人以上が連行されたといいます。
この様子が、世界各国で大々的に報道され、暴動に対し強硬策を取った中国政府は国際的な批判を浴びているのが今回のラサ暴動なのです。

「1723年から現在まで」・・・・・・気が遠くなるほどの長い年月にかけての背景がこの問題の根っこだったんですね。
オリンピック聖火リレー妨害に至った道程が整理でき、理解することが自分なりにできました。

「何も知らない」ってことは怖い。
本当の事を知ったからといって今回のように問題が大きすぎる事に対しては何も出来ないけれど・・・・・・・、でも「本当のことを知る」のは重要なことだ。
今の世の中、本質を見ずに表面だけをちょいと摘んだだけで、物事を全て知ったかのような解釈がまかり通っているように感じる。
TVのニュースでも、前後の話の脈絡は関係なしに「失言」だけをクローズアップして扱う事で善悪を判断していると感じることも多々・・・・・・・・・。
国民はそんなに「馬鹿じゃない」って言いたいけれど、シャバを見渡すと「今だけ良ければ、それでいい」刹那主義的(?)なヒトもよく見かけてしまう。
他の国に比べても、10代、20代が感じている「社会の見方」に大きな隔たりを垣間見る時がたまにあるのは気のせい?
本当のことを知らずに垂れ流し状態の今の情報社会
その犠牲になるのは私よりも下の世代のはず
せめて、物事の本質を見るための、考えるための視野起点を伝えていかなければ、そのまま歳をとってしまう子供達の未来が憂慮される

しっかりしなければ!!

もっともっともっともっと、目を向けて欲しいヒト達もいるのにね。
消えた年金に加え、働く事ができない高齢者の方々からの更なる徴収制度の確立等など・・・・・・・・
日本の政治は何処に向かっているのでしょうか?
わが国の政府は、いつまで道路特定財源の一般財政化回避や日銀人事をめぐっての堂々巡りなんかやってるんですかねうーん







  

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